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ファイル一覧
日時 名前 サムネイル サイズ 概要 版数
2024年9月23日 (月) 08:19 シラキのコホリ.png (ファイル) 18キロバイト   1
2024年9月23日 (月) 08:20 新座郡最大領域図.png (ファイル) 87キロバイト   1
2024年9月23日 (月) 17:40 正保年中改定図.png (ファイル) 144キロバイト 新編武蔵風土記稿/巻之129新羅郡之1 総図に掲載の正保年中改定図。正保は1644年12月16日~1648年2月15日、徳川家光の時代。 1
2024年9月23日 (月) 17:43 元禄年中改定図.png (ファイル) 119キロバイト 新編武蔵風土記稿/巻之129新座郡1 総図に掲載の元禄年中改定図。元禄は1688年9月30日〜1704年3月13日、徳川綱吉の時代。 1
2024年9月23日 (月) 20:27 武蔵国全図より新座郡.png (ファイル) 1.15メガバイト [https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925049 武蔵国全図] (菊地武辰/著,橋本玉蘭/画図)より、新座郡周辺のみを切り取った図。 1856(安政3) 埼玉県立図書館所蔵 {{Quotation|橋本玉蘭(五雲亭貞秀)は鳥瞰図を得意とした浮世絵師で、この絵図の山の描き方には特長があります。欄外には社寺朱印高、名所の和歌、国名のいわれなどが書かれています。 江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋)}} 1
2024年9月23日 (月) 20:29 武蔵国全図より新座郡中心の広域.png (ファイル) 4.27メガバイト [https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925049 武蔵国全図] (菊地武辰/著,橋本玉蘭/画図)より、新座郡を中心として江戸から川越までを切り取った図。 1856(安政3) 埼玉県立図書館所蔵 {{Quotation|橋本玉蘭(五雲亭貞秀)は鳥瞰図を得意とした浮世絵師で、この絵図の山の描き方には特長があります。欄外には社寺朱印高、名所の和歌、国名のいわれなどが書かれています。 江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋}} 1
2024年9月23日 (月) 20:30 武蔵国全図 下野屋理兵衛 新座郡.png (ファイル) 471キロバイト [https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925080 武蔵国全図(下野屋理兵衛/図)]より、新座郡周辺のみを切り取った図。 江戸末期 埼玉県立図書館所蔵 {{Quotation|江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋}} 1
2024年9月23日 (月) 20:31 武蔵国全図 下野屋理兵衛 広域.png (ファイル) 2.17メガバイト [https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925080 武蔵国全図(下野屋理兵衛/図)]より、新座郡を中心として江戸から川越までを切り取った図。 江戸末期 埼玉県立図書館所蔵 {{江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋}} 1