埼玉県近代化遺産
提供:シラキのコホリ
埼玉研究育委員会は、1994~95年に埼玉県近代化遺産総合調査を実施した。調査対象は、近代的技術でつくられた構築物(各種建築物・工作物を含む)の業・交通・土木に関わるもので、江戸時代末期から第二次世界対戦終了時(1945)までの間に造られたものである。
以下は、『埼玉県近代化遺産総合調査報告書』(1996)の「埼玉県の近代化遺産一覧(市町村別)」からの旧新座郡エリアの引用である。当時の情報とは変わってしまっているものもあるが、そのまま掲載する。
志木市
厳密には宗岡地区は新座郡に含まれないが、ここには便宜上掲載する。
名称 | 所在地 | 竣工年 | 主な材質 | 概要 |
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籠蔦樋管 | 下宗岡 | 明治二十八 | 石 | 江戸期からある樋管で、明治二十八年に石造に改修。かつての圦の原型を留め、観音開きの扉が設けられている。 |
いろは樋の大枡 | 本町 | 明治三十一 | 煉瓦 | 野火止養水を宗岡地区に送水するいろは樋が、明治三十一年に階函式の伏越に改修された際に設置。市指定史跡。 |
大小合併樋管 | 上宗岡1丁目~5丁目 | 明治三十一 | 煉瓦 | 石橋大圦樋に石橋小圦樋を吸収して新設されたもの。水田の落ち水と洪水時の逆流の防止を目的。 |
横町樋管(北美圦樋) | 中宗岡1丁目~上宗岡1丁目 | 明治三十二 | 煉瓦 | 江戸時代に作られた木造の圦樋を明治三十二年に改築したもの。現在も現役で使用されており、外観も美麗。 |
窪田樋管 | 下宗岡 | 明治三十三 | 煉瓦 | 江戸期からある樋管。当初は木製であったが明治三十三年に鉄製の扉を持った煉瓦造りのものに改修された。 |
開化橋 | 上宗岡 | 明治三十一 | 煉瓦・石 | 丸太に土を盛っただけの「むじな橋」を約200m下流に移し、煉瓦と石材を使ってハイカラに作り替えた橋。 |
坂下橋の橋脚 | 柏町 | 大正年間 | 石 | 大正年間に建造された石橋で、上部の撤去他大規模な修復を受けており、現存する遺構は橋脚部分のみ。 |
いろは橋 | 中宗岡 | 昭和五 | コンクリート | 新河岸川改修に伴って新設。鉄材は太平洋戦争中の供出などで撤去されたため、架橋時の遺構は橋桁のみ。 |
新座市
名称 | 所在地 | 竣工年 | 主な材質 | 概要 |
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東武鉄道蒸気機関車37号 | 北野(立教高等学校) | 明治三十一 | 日本鉄道が開業初期に輸入した蒸気機関車で、大正十二年に東武鉄道に払い下げられ、昭和四十年まで使用された。 | |
新井家の水車遺構 | 石神 | 戦前 | 木 | 精米・製粉用の水車の遺構で、その起源は江戸時代にまで遡る。現在も旧水車小屋で精米所・米穀店を営業。 |
東京板紙会社第一製造所跡(碑) | 石神 | 明治十九 | 石 | 日本最初の板紙工場として明治十九年に創立された東京板紙会社(千住製紙会社の前身)の跡地。石碑が建つ。 |
黒目川本瀬堰 | 栗原 黒目川栗原橋の上流 | 慶応二 | 石 | 慶応二年に辻村ほか6か村が用水の取得のために設置した堰で、同年堰切りし、その後度々改修を受けてきた。 |
西武鉄道 山口線客車3号 | 野火止付近 | 戦時中 | 旧日本陸軍によって太平洋戦争中に作られた97式軍用客車が種車。終戦後は西武鉄道山口線で活躍した。 | |
西武鉄道 山口線客車23号(おとぎ列車) | 野火止 | 戦時中 | 旧日本陸軍によって太平洋戦争中に作られた97式軍用客車が種車。終戦後は西武鉄道山口線で活躍した。 |
朝霞市
名称 | 所在地 | 竣工年 | 主な材質 | 概要 |
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塩味しょうゆ店 | 溝沼 | 明治~大正年間 | 木 | 幕末創業の「山柳」醤油の製造販売店で、醸造所は平成四年に改築されたが店舗兼住宅と倉庫は旧来のまま。 |
大畑伸鋼所 | 膝折町 | 明治初~大正年間 | 木・煉瓦 | 平成四年まで操業していた市内でも代表的な伸銅工場とその倉庫。伸銅はかつて朝霞市の基幹産業であった。 |
和光市
名称 | 所在地 | 竣工年 | 主な材質 | 概要 |
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柳下家の煙突 | 下新倉 | 明治十ごろ | 煉瓦 | 柳家が現在地に分家し、酒造業を始めた際に建設したもの。関東大震災により、上部約2mが破壊された。 |
日本国有鉄道C12型蒸気機関車 C1285号 | 諏訪 諏訪原第4小学校 | 昭和八~十三 | 簡易線客貨用1C1タンク形機関車。昭和四十四年まで大宮工場で入換用として活躍した。 |