川越街道
川越街道は、江戸と川越間をつなぐ街道である。15世紀に起源があり、江戸時代に整備された。上板橋宿を起点とし、川越御城大手前までの10里~11里程度の道程である。このうち、白子宿・膝折宿・大和田宿の三つの宿場が新座郡内に位置する。
現在は川越街道新道(国道254号の一部)が整備されており、池袋六ツ又交差点から川越市新宿町交差点までの通称となっている。
江戸時代までの歴史
長禄元年(1457年)、上杉持豊が太田道真・太田道灌父子に命じて川越城・江戸城を築かせた。その際、古河公方に対する防衛道として、それ以前からあった川越~江戸間の古道をつなぎ合わせた。これが川越街道の前身であると伝えられている。
天正十八年(1590年)に徳川家康が江戸入府した後、川越初代城主・酒井重忠によって川越街道が整備された。家康・秀忠・家光がしばしば川越で鷹狩りを行っており、江戸から川越に向かうルートは非常に重要なものであった。
江戸・川越間の交通としては新河岸川の舟運が整備されつつあったが、三代将軍家光の仙波東照宮参詣(寛永十年(1633年))に際して、松平信綱が新道を完成させた。江戸時代には川越道中と称された。
川越街道の経路
江戸の板橋宿追分で中山道と分岐し、川越街道が始まる。以後、上板橋宿・下練馬宿・白子宿・膝折宿・大和田宿・大井宿を経て川越御城大手門前に至る。
- 日本橋:中山道の起点。
- 森川宿:中山道が岩槻街道と分かれる。現在の文京区の東大門前。ここから「旧中山道」(国道17号)が北西に向かう。千石駅を通過し、巣鴨駅の西口から地蔵通り商店街に入ると旧中山道のルートである。庚申塚駅で都電と交差し、板橋駅の北の踏切を超えていく。
- 平尾追分:板橋宿は上宿・中宿・平尾宿の3つがあったが、平尾で中山道と川越街道が分岐する。板橋三丁目1-1 りそな銀行板橋支店前の分岐で、旧中山道からまっすぐの北側の細道が中山道、広い道の方が川越街道のルートである。
- 上板橋宿:日本橋から2里半(約10km)。上宿・中宿・下宿の三宿に分かれていた。宿場の規模は極めて小さく、問屋場・本陣も設けられず、名主河原与右衛門宅がこれらの機能を兼ねていた。現在の弥生町1番地から下頭橋のだらだら坂あたり。
- 下練馬宿:上板橋宿から26町(約2.8km)。上宿・中宿・下宿のうち下宿が中心であった。現・練馬区北町一~二丁目。
- 白子宿:下練馬宿から1里10町(約5km)。文明・長享(1487~1488)のころにはすでに白子宿の記載がある。白子宿では天正十五年(1587年)に北条氏により開墾と新宿が取り立てられ、六斎楽市が開始された。現・和光市白子。
- 膝折宿:白子宿から約1里(4km)。野火止を経て大和田宿へ至る。現・朝霞市膝折。
- 大和田宿:膝折宿から約1里(4km)。江戸時代初期に表通りの川越街道と、東西に並行する裏通りが整備され、相当な賑わいを見せていた。藤久保を経て大井宿へ至る。現・新座市大和田。
- 藤久保:大和田宿を出て柳瀬川を渡ると藤久保の並木に達する。北の杉・南の松の並木は寛永期に整備されたと考えられている。
- 大井宿:大和田宿から約1里半(6km)。元禄十一年(1698年)に本陣が置かれた。当時の城主・柳沢吉保が旗本領から川越領に組み替えて大井町としている。現・ふじみ野市苗間。
- 川越:大井宿から約2里半(10km)。亀久保・藤間・烏頭坂を越えて、仙波新田(菅原町)に入る。菅原神社と六ツ坂稲荷の境内で略式道中から正式の大名行列に改められて川越城へと向かう(川越城から江戸に向かう場合は、菅原町で略式に改められる)。通町から松江町、江戸町(大手町)の北で川越城の西大手に達する。これが終着点となる。
なお、川越街道は北へ進んで松山から熊谷宿で中山道へ通じる。また、脇街道は秩父へとつながっている。中山道筋の川が氾濫した場合、川越街道が活用されることもあった。
明治以降
明治以降も川越街道は重要な陸路として用いられたが、大正三年(1914年)には池袋駅から川越を経由する東上鉄道(現・東武鉄道東上本線)が開通した。これはもともと川越街道沿いのルートが想定されていたが、志木宿からの誘致活動があり、やや北に外れた新河岸川に近いルートとなっている。
昭和になって自動車が普及し、川越街道も自動車道として整備されていくこととなった。この中で、昭和十年(1935年)に、白子宿の繁華街を横断し、斜面を切り通す新しい川越街道が開削されている。
昭和三十八年(1963年)、主要地方道東京川越線が第3次二級国道に指定され、国道254号の一部として開通し、「川越街道」の通称で呼ばれることとなった。これは江戸時代の川越街道とはズレている。昭和四十年には一般国道に昇格した。
その後、和光市新東埼橋から新座市英インターチェンジまでの新座バイパスが完成。これに伴い、これまでの国道254号線の東京都練馬区旭町東埼橋交差点から英インターチェンジまでは埼玉県道109号新座和光線=「旧川越街道」に降格となり、同時に、新座バイパスが国道254号線/川越街道となる。
その後、新しいバイパスとして、富士見川越バイパスにつながる和光富士見バイパスが建設中である。
したがって、「川越街道」として言及される道路は現時点で4本あることになる。
- 江戸時代以来の川越街道の古道。現在の大坂通り・浅久保通りなど。
- 「旧川越街道」埼玉県道109号新座和光線。
- 「川越街道」国道254号線(新座バイパスを含むルート)。
- 富士見川越バイパス/和光富士見バイパス。
国道254号
通称「ニコヨン」。東京都文京区本郷三丁目交差点から、川越街道を経由し、さらにその先長野県松本市平瀬口交差点に至る。
このうち、川越街道と呼ばれるのは、現時点では、東京都豊島区の池袋六ツ又交差点から埼玉県川越市の新宿町(北)交差点までの区間である。
- 昭和三十八年(1963年)4月1日:二級国道東京小諸線(東京都文京区本郷三丁目交差点 - 長野県佐久市 ~ 長野県小諸市)として指定。佐久市~小諸市は国道141号と重複。
- 昭和四十年(1965年)4月1日:一般国道254号となる。
- 昭和四十五年(1970年)4月1日:長野県佐久市~長野県松本市の区間(主要地方道松本佐久線)を編入し、総区間は東京都文京区 - 長野県松本市となる。
- 昭和四十六年(1971年):バイパスとして建設された一般国道254号東京川越道路(練馬IC~川越IC)が「関越自動車道(東京川越区間)」として開通。
- 昭和四十八年(1973年)4月1日:東京川越道路が高速自動車国道の関越自動車道に編入される。
- (年度不明):新座バイパスが完成。これに伴い、これまでの国道254号線の同区間が埼玉県道109号新座和光線「旧川越街道」に降格、新座バイパスが「川越街道」と呼ばれるようになった。
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