武蔵田園簿

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武蔵田園簿』は、武蔵国の22郡2415村について、郡別に村名・村高・田畑高・諸役銭・社寺朱印高・支配代官・旗本知行主・大名領主、また一国の寄高・道法・船道・村駅・古城・名所を記した書物である。正保国絵図に添えられた郷帳(一国単位に各村の村高を書き上げた帳簿)であり、17世紀半ばの完成とみられている。

ここでは作成経緯および新座郡関連の記事について、見やすく整形して掲載する。

経緯

  • 正保元年(1644)、江戸幕府は日本国郡図および諸城図の作成を全国に下命した。
  • 正保三年(1643)2月、大目付 井上政重・目付 宮城和甫が総裁となり、川越城主 松平信綱・忍城主 阿部忠秋・岩槻城主 阿部重次・関東郡代 伊奈半十郎忠治に対して、武蔵国図の提出を命じた。
  • 慶安元年(1648)12月25日、大番士 飯河方好・小田切昌快・雨宮正種・遠山為庸らが、武蔵・上総両国を巡検して国図を作成するように命ぜられた。
  • 慶安二年(1649)5月15日、巡検に出発。
  • この間に武蔵田園簿が作成されたと思われる
  • 慶安三年(1650)、代官 高室昌成が病死。高室は武蔵田園簿に記載されている。

新座郡 18か村

片山村

高1232石

  • 内 田方:576石9斗9合
      畑方:655石9升1合

内訳

  • 野村彦大夫御代官所 300石
  • 桜井庄之助知行 100石
  • 神谷与十郎知行 100石
  • 田中市郎右衛門知行 250石
  • 荒川又六郎知行 50石
  • 木村伊右衛門知行 200石
  • 柘植甚八郎知行 150石
  • 小野久内知行 50石
  • 米津内蔵助知行 30石

大和田町

高455石

  • 内 田方:343石2斗
      畑方:111石8斗

内訳

  • 柴山小兵衛知行 255石
  • 柴山権左衛門知行 200石

館村

高718石9升9合

  • 内 田方:347石8斗6升2合
      畑方:370石2斗3升7合

内訳

  • 近山与左衛門御代官所 37石3斗9升9合
  • 山中与五兵衛知行 480石7斗
  • 新見七右衛門知行 100石
  • 大河内兵左衛門知行 100石

内間木村

野高 加藤源四郎知行 高17石

宮戸村

長坂十(郎)兵衛知行 高200石

  • 内 田方:90石7斗5升
      畑方:109石2斗5升

浜崎村

高460石

  • 内 田方:150石4斗1升
      畑方:309石5斗9升

内訳

  • 近山与左衛門御代官所 165石
  • 深津長右衛門知行 200石
  • 岸(貴志)八郎右衛門知行 33石
  • 富永喜右衛門知行 30石
  • 三枝土佐守知行 32石

溝沼村

中山助六郎知行 高500石

  • 内 田方:245石3斗4升8合
      畑方:254石6斗5升2合

膝折村

高373石

  • 内 田方:77石4斗
      畑方:295石6斗

内訳

  • 野村彦大夫御代官所 73石
  • 佐野左京知行 300石
  • 外 天羽七右衛門御代官 野銭:鐚(びた)17貫文

岡村

高468石

  • 内 田方:234石3升8合
      畑方:233石9斗6升4合

内訳

  • 近山与左衛門御代官所 200石
  • 三枝土佐守知行 268石
  • 外 近山与左衛門御代官 野銭:永1貫文

田島村

富永喜左(右)衛門知行 高170石

  • 内 田方:166石8斗5升
      畑方:3石1斗5升

根岸村

高475石

  • 内 田方:285石
      畑方:190石

内訳

  • 野村彦大夫御代官所 25石
  • 内藤半弥知行 250石
  • 松平隼人知行 200石
  • 外 野村彦大夫御代官所 野銭:永2貫文

上新座村

板倉周防守知行 高500石8斗

  • 内 田方:311石2斗9升6合
      畑方:189石5斗4合
  • 外 野銭 同人納 永2貫文

下新座村

酒井内記知行 高396石9斗6升5合

  • 内 田方:255石5斗7升1合
      畑方:141石3斗9升8合
  • 外 同人納 野銭:永6貫122文

白子村

伊賀衆知行 高145石5石6斗6升

  • 内 田方:96石2斗9升2合
      畑方:49石3斗6升8合
  • 外 野村彦大夫御代官 野銭:永3貫636文

橋戸村

伊賀衆知行 高150石

  • 内 田方:90石9斗4升3合
      畑方:59石5升7合
  • 外 野村彦大夫御代官 野銭:永6貫685文

小榑村

同人御代官所 高548石1斗9升5合

  • 内 田方:29石3斗7升6合
      畑方:518石8斗1升9合
  • 外 同人御代官 野銭:永6貫685文

下保谷村

同人御代官所 高305石7斗8升

  • 皆畑
  • 外 同人御代官 野銭:永1貫985文

上保谷村

同人御代官所 高568石5升2合

  • 皆畑
  • 外 同人御代官 野銭:永5貫507文

7683石5斗5升5合

  • 内 田方:3301石2斗4升3合
      畑方:4365石3斗1升2合
      野高:17石

内訳

  • 御料 2222石4斗2升6合
  • 私領 5461石1斗2升9合

外 野銭

  • 御料 永22貫499文
  • 私領 永8貫122文
  • 御料 鐚17貫文

武蔵国道法

江戸牛込御門より熊谷まで道法

  • 牛込御門より上板橋まで1里31町(ただし道広3間)
    • この間に川1つ
      • 高田川:橋の長さ6間、水深2尺、小石砂川、水が出ていても渡りあり
  • 上板橋より練馬まで1里11町(ただし道広4間5間)
    • この間に川1つ
      • 王子川:橋の長さ7間、水深さ2尺、小石砂川
  • 練馬より白子まで1里(ただし道広4間5間)
    • この間に川1つ
  • 白子より膝折まで33町(ただし道広4間5間)
  • 膝折より大和田まで33町(ただし道広4間5間)
  • 大和田より大井まで1里14町(ただし道広4間5間)
    • この間に川1つ
      • 境川:歩渡り5間、水深さ2尺、小石砂川
  • 大井より川越まで2里6町(ただし道広6間)
  • 川越より伊草まで1里16町(ただし道広3間2間)
    • この間に川2つ
      • 東明川:橋の長さ4間
      • 落合川:舟渡り30間、水深5尺、小石砂川、水が出れば渡りなし
  • 伊草より松山まで2里23町(ただし道広2間1間)
  • 松山より熊谷まで3里3町(ただし道広2間1間)
    • この間に川1つ
      • 市川:歩渡り10間、水深2尺、土川、水が出れば渡りなし
      • あら川:歩渡り50間、水の深さ2尺、石川、水が出れば渡りなし

道法合計16里26町

武蔵国 村の名 ならびに名所書付

新座郡

  • 馬継の村
    • (2)白子村 (3)膝折町 (1)大和田町(大1)
  • 村の名
    • (上下)新座村(大2) (2)(上下)保谷村(大3) (3)片山村 (4)浜崎村
  • 名所

参考文献

  • 北島正元校訂『武蔵田園簿』(日本史料選書15 近藤出版社)1977