武蔵国新座郡村誌/西堀村
提供:シラキのコホリ
< 武蔵国新座郡村誌
- 現代語訳=シラキのコホリのツカサ
西堀村(にしぼり)
本村は寛文年中、本郡 野火止村の内開墾地であり、野火止村の小名のようであったが(元禄年中改定の郡図に見えない。また、風土記に別村のように西堀村と称し、民家も40戸群居していたが、その実は別村ではないと載っている)、今、まったくの別村となっている(その年暦は確たるものがない)。
疆域
東南は本郡野火止村と村路野径を境界とし、正南もまた野火止村と多摩郡神山村・門前村・小山村などに耕作路・溝渠で隣接し、西は多摩郡上清戸村と林野で区切られ、北は多摩郡上清戸村・中清戸村・下清戸村の3村あるいは本郡野火止村などに接している。
幅員
- 東(字隅から)西(字稲荷前に至る)1里8町
- 南(神山村との境界から)北(野火止村との境界に至る)5町30間
管轄沿革
- 寛文(1661~1673年)のころ、松平伊豆守信綱がこの辺を領していたときに開墾し、埼玉郡林寺村にある平林寺を野火止村に移した後、その寺に寄付してから同寺の領地となる(以上、風土記による)。
- 維新の際、公収して高崎藩の預り所とする。
- 明治四年辛未(1871年)11月入間県が管轄する。
- 明治六年(1873年)6月熊谷県の所轄となる。
里程
- 熊谷県庁より南少し東13里10町
- 四隣:本郡野火止村(元標)まで1里6町。多摩郡上清戸村(境界)へ23町。多摩郡神山村(元標)へ18町。多摩郡下清戸村へ12町
地勢
- 坦夷(平ら)で東西に長く、南北に短い。薪・炭は富饒であるが、運輸の便に乏しい。
地味
- 色は黒く、赤が混じり、その質は悪いけれども豆・麦に適している。もっとも涌泉のために害されることがある。また、時々旱魃に苦しんでいる。
税地
- 畑:160町1反1畝18歩
字地
- 稲荷前(いなりまへ):村の西方にある。東西4町35間・南北2町10間。
- 新堀淵(しんほりぶち):稲荷前の東に連なる。東西8町・南北1町40間。
- 久保(くぼ):新堀淵の東に連なる。東西2町30間・南北3町15間。
- 三軒屋(さんげんや):久保の東に連なる。東西6町30間・南北4町20間。
- 中(なか):三軒屋の東に連なる。東西5町・南北7町50間。
- 氷川脇(ひかはわき):中の西に連なる。東西4町35間・南北7町40間。
- 十輪庵(ぢうりんあん):氷川脇の東に連なる。東西2町30間・南北5町25間。
- 下関場(しもせきば):十輪庵の東に連なる。東西1町30間・南北2町30間。
その他、小堀附、橋場、稲荷山、池田、本多、向、高橋、隅などがあるが、今ここに一々掲載しない。
貢租
- 地租:金91円31銭8厘
- 賦金:金14円50銭
- 総計:金105円81銭8厘
戸数
- 本籍:62戸(平民)
- 社:2戸(村社)
- 総計:46戸
人口
- 男:187口(平民)
- 女:171口(平民)
- 総計:357口
牛馬
- 牡馬:6頭
舟車
- 荷車:28両(中車)
山川
- 玉川分水:幅2間、深さ2尺。西の方、多摩郡小山村から来て南境に沿って斜めに左折し、中央を東流して野火止村に入る。長さ1里8町13間。同上支流があって、西の方、字中から派生して、村内の用水となり、また飲用となって、東北菅沢村に入る。その間8町20間、幅3尺、深さ1尺。
森林
- 林:散在しており、枚挙に暇がない。
道路
- 村路:所沢道という。幅3間、長さ2町半。
- この外、村路が数条ある。枚挙するほどではない。
神社
- 氷川社:村社。社地は108坪。素戔嗚尊を祭る。祭日4月15日。
- 稲荷社:村舎。社地は750坪。保食命を祭る。祭日2月9日。
村事務所
- 当村吏の宅舎を仮用している。
物産
- 小麦:89石3斗
- 大豆:39石
- 甘藷を多く作り、他所に販売している
民業
男女農を専らとする。
注記
大和田町 - 野火止村 - 菅沢村 - 西堀村 - 北野村 | 現新座市北部 |
志木宿 | 現志木市南部 |
上内間木村 - 下内間木村 - 宮戸村 - 田島村 - 浜崎村 - 溝沼村 - 岡村 - 根岸村・台村 | 現朝霞市の大半 |
上新倉村 - 下新倉村 - 白子村 | 現和光市 |
橋戸村 | 現練馬区大泉町付近 |
膝折村 | 現朝霞市膝折 |
片山村 | 現新座市南部 |
上保谷村 - 上保谷新田 - 下保谷村 | 現西東京市東部 |
小榑村 | 現練馬区大泉学園町・西大泉・南大泉付近 |