武蔵国新座郡村誌
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武蔵国新座郡村誌(むさしのくに にいざぐん そんし)は、『武蔵国郡村誌』(むさしのくに ぐんそんし)の中の新座郡について記された部分である。
武蔵国郡誌
明治五年(1872年)9月24日、太政官達第288号にて「皇國地誌編集一切正院に管轄す」とし、太政官正院地誌課にて官製の『皇国地誌』編纂が開始された。これは国土把握のために史誌地誌が必要と考えられたためである。
埼玉県では、県令・白根多助が県内の記録をもとに編集を行い、次の県令・吉田清秀のときに編纂を終えた。明治十五年(1882年)に内務省地理寮に郡誌17冊、郡村誌103冊を進達した。
しかし、明治十七年(1884年)7月、不研委託による編纂が進まず、『皇国地誌』の編纂は打ち切られた。
その後、大正十二年(1923年)、関東大震災により東京帝国大学附属図書館とともに約6400冊の残稿の大半が焼失したが、埼玉県による武蔵国稿本は東京大学史料編纂所に残存した。また、県による控えも残っており、これが昭和二十八年(1953年)~昭和三十年(1955年)にかけて埼玉県立図書館から『武蔵国郡村誌』全15巻として刊行されている。
武蔵国郡誌 各巻構成
- 足立郡村誌(1-7)
- 足立郡村誌(8-14)
- 足立郡村誌(15-18)・新座郡村誌
- 入間郡村誌(1-8)
- 入間郡村誌(9-10)・高麗郡村誌(1-5)
- 比企郡村誌(1-8)・横見郡村誌(1-2)
- 秩父郡村誌(1-6)
- 児玉郡村誌(1-3)・賀美郡村誌(1-2)・那珂郡村誌
- 大里郡村誌(1-3)・男衾郡村誌(1-2)・榛沢郡村誌(1-2)
- 榛沢郡村誌(3-5)・旛羅郡村誌(1-4)
- 埼玉郡村誌(1-8)
- 埼玉郡村誌(9-16)
- 埼玉郡村誌(17-23)
- 葛飾郡村誌(1-7)
- 下総国葛飾郡村誌(1-3)・各郡誌
当サイトではこの埼玉県立図書館版『武蔵国郡村誌』から「新座郡村誌」の部分を現代語訳して掲載する。
武蔵国新座郡村誌 凡例(現代語訳)=
- 熊谷県庁を載せて埼玉県庁を載せていないのは、当時熊谷県の所轄だったからである。
- 全村の面積はまだ実測していないため、掲載していない。
- 幅員の四至(四方の境界)は、改租丈量(地租改正のための測量)のときに作成した各村の測量縮図によって測っている。
- 管轄・沿革などは『新編武蔵風土記』『大成武鑑』『藩翰譜』『武蔵国田園簿』等によって校正したが、疑いがある場合は「風土記」「田園簿」「大成武鑑」などの字を冒頭二記し、注して異同を示した。なお、風土記とだけ書いているが新編武蔵風土記の省略である。
- 里程などもまだ実測していないため、差がないとはいえない。今は村の役人の記録・申告[1]に従う。
- 税地の反別地租の米金は官簿により、地租改正以前すなわち明治八年の調査による。森林原野などもすべて畑地に総括した。ただし白子・橋戸の両村に限り、村の役人の記録・申告による。これは官簿に両村の区別が明らかではないためである。また、地租のうち「米若干」とあるが、各村みな石代金納(一石の代金6円21銭5厘4毛4糸)の請を許した。しかし、今は煩雑を省略して一々注記しない。
- 字地はできるだけ地租改正[2]以前の古称を採用している。
- 賦金は今からさかのぼり、官簿によるものがないものはすべて村の役人の記録・申告による。ただ大和田町を載せていないのは、戸長も役場も帳簿が散佚して入手する方法がないからである。
- 税地項の中の反別を除く外、飛地・森林・原野・社寺・境域などはおおむね地租改正以後の調査であって、村の役人の記録・申告による。そのため、税地反別の総計に対して新旧の差異を生じるのは言うまでもない。
- 戸数・人口・学校生と・船車牛馬などはすべて明治九年1月1日の調査による
- 森林・社寺その他の方位については、当該の村の元標または掲示場などを起点にして定めた。
- 牧場・鉱山など当該の村にないものはすべて標目を掲げなかった。
目次
- 大和田町
- 野火止村
- 菅沢村
- 西堀村
- 北野村
- 志木宿
- 上内間木村
- 下内間木村
- 宮戸村
- 田島村
- 浜崎村
- 溝沼村
- 岡村
- 根岸村・台村
- 上新倉村
- 下新倉村
- 白子村
- 橋戸村
- 上新倉村
- 下新倉村
- 白子村
- 橋戸村
- 膝折村
- 片山村
- 上保谷村
- 上保谷新田
- 下保谷村
- 小榑村