武蔵国新座郡村誌/北野村
提供:シラキのコホリ
< 武蔵国新座郡村誌
- 現代語訳=シラキのコホリのツカサ
北野村(きたの)
疆域
東はわずかに浜崎村とあぜ道で接し、西もまた里道で限って大和田町に隣接する。残りはすべて野火止村に接する。
幅員
- 東(字富士塚から)西(字屋鋪裏まで)13町
- 南(上新畑の林の境から)北(字北門まで)5町
管轄沿革
- 宝永二年乙酉(1705年)3月、松平右京大夫輝貞(上野高崎城主)に賜い、累世これを領する(宝永以前は未詳。もっとも、本郡野火止村管轄沿革の条項の細注に弁じたとおり、松平伊豆守が本郡の内を領したことは大成武鑑にも見えないため、今はここに採用しない)。
- 維新の際、村高49石2斗5升あって、以後の所轄は野火止村と同じ。
里程
地勢
- 平坦・高燥で、野火止村の地脈が中央を裁断し、東西に部を分ける。四面もまたこれに囲まれ、わずかに東隅・西角を開くだけである。旧奥州街道南西から北東に貫き、また里道縦横に通じるため、運輸の便を得る。しかも薪・炭も乏しくない。
地味
- 色は赤黒の交種であり、その質は豆・麦・藍葉に適している。もっとも高燥であるため、時々旱魃に苦しむ。
税地
- 畑:37町4反3畝13歩
字地
- 屋敷前(やしきまへ):村の東にある。東西1町、南北3町。
- 北門(きたもん):村の東にある。東西2町、南北3町。
- 屋敷裏(やしきうら):村の西にある。東西4町、南北4町10間。
- 三軒屋(さんげんや):村の東にある。東西2町、南北4町。
- 富士塚(ふじづか):村の東にある。東西3町、南北3町。
貢租
- 地租:金30円56銭4厘
- 賦金:金6円
- 総計:金36円56銭4厘
戸数
- 本籍:24戸(平民)
- 社:1戸(村社)
- 総計:25戸
人口
- 男:65口(平民)
- 女:55口(平民)
- 総計:120口
牛馬
- 牡馬:2頭
舟車
- 荷車:8両(小車)
山川
- 多摩川分水:深いところ3尺、幅1間。南の方、野火止村から来て字富士塚の中央を貫いて北の方再び野火止村に入る。その間、2町。また、支流は同じく南の方、野火止村から来て字屋敷前・屋敷裏の間を経過・左折して、委流は志木宿に注入する。その間15町、幅3尺。
森林
- 林:民有に属し、12町2反9畝22歩。字新畑林と称する。そのほか、各所に散在して、一々記載するのに暇がない。
道路
- 旧奥州街道:本村の東の方、野火止村界から北の方、志木宿に至る。長さ30間、幅4間。
- 村道:本村の南の方、野火止村界から北の方、志木宿に至る。長さ4町50間、幅2間3尺。
神社
- 稲荷社:村社。社地は東西36間3尺、南北8間、面積288坪。村の西の方にあり、倉稲魂命を祭る。祭日2月初午日。
物産
- 大麦:160石
- 小麦:143石5斗
- 大豆:9石1斗2升
- 小豆:9斗
- 粟:24石8斗
- 蕎麦:5石6升
- 小麦・大豆などは羨余があり、藍葉とともに本郡志木宿へ販売し、甘藷もまた東京に輸出している
民業
男女農業を専らとする。
注記
大和田町 - 野火止村 - 菅沢村 - 西堀村 - 北野村 | 現新座市北部 |
志木宿 | 現志木市南部 |
上内間木村 - 下内間木村 - 宮戸村 - 田島村 - 浜崎村 - 溝沼村 - 岡村 - 根岸村・台村 | 現朝霞市の大半 |
上新倉村 - 下新倉村 - 白子村 | 現和光市 |
橋戸村 | 現練馬区大泉町付近 |
膝折村 | 現朝霞市膝折 |
片山村 | 現新座市南部 |
上保谷村 - 上保谷新田 - 下保谷村 | 現西東京市東部 |
小榑村 | 現練馬区大泉学園町・西大泉・南大泉付近 |