武蔵国新座郡村誌/上内間木村

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武蔵国新座郡村誌上内間木村項の現代語訳。

現代語訳=シラキのコホリのツカサ

上内間木村(かみうちまぎ)

本村はいにしえ新倉郷広沢庄野方領に属し、今の下内間木村と1村であったが、宝永四年丁亥(1707年)分かれて上下の2村となった。

疆域

東は荒川を隔てて足立郡内谷村・松本新田・沼影村に対し、東南は本郡 下内間木村田嶋村に接し、西南は本郡[[武蔵国新座郡村誌/浜崎村|浜崎]・宮戸の2村と新河岸川で隔てられ、西北は入間郡宗岡村に隣り、北は足立郡田嶋村と荒川で区切られている。

幅員

  • 東(字重瀬から)西(字釜口に至る)15町30間
  • 南(字川袋から)北(字高山通りに至る)11町10間

管轄沿革

  • 天正十八年庚寅(1590年)、徳川氏の所有となり、旗下士 加藤源四郎に賜う。
  • 分村以前、正保(1645~1648年)のころは村高合わせて17石あった。このときも源四郎の采地であった。
  • 元禄(1688~1704年)の頃、収めて代官の支配となった。
  • 分村の後、徳川氏の末に至り、高197石4斗4升9合となった。代官がこれを支配していた。
  • 維新の際、武蔵知県事に属する。
  • 明治二年己巳(1869年)6月、品川県に属する。
  • 明治四年辛未(1871年)11月、入間県に移る。
  • 明治六年(1873年)6月、熊谷県の所轄となる。

里程

  • 熊谷県庁より南少し東13里
  • 四隣:浜崎村(元標)へ12町。宮戸村(元標)へ18町。下内間木村(元標)へ30町。足立郡田嶋村(元標)へ1里。
  • 近傍:志木宿(元標)へ1里(元標 字屋敷より測る)

地勢

  • 平夷で、東北に荒川、西南に新河岸川を帯び、運輸は便利。薪炭は余嬴がある。

地味

  • 真土。その質は悪く、荒川の沿縁は砂場であって、ともに稲・粱・菽(豆)・麦に適しない。両川の間に挟まるけれども水利の便はなく、かえって氾濫の患を免れない。陸田はときどき旱魃に苦しむ。

税地

  • 田:3町8反7畝23歩
  • 畑:111町3反3畝13歩
  • 総計:115町2反1畝6歩

字地

  • 屋敷添(やしきそへ):村の中央にある。東西100間・南北240間。
  • 重瀬(をもせ):屋敷添の東北にある。東西225間・南北185間。[1]
  • 高山通(たかやまとほり):重瀬の西北にある。東西155間・南北240間。
  • 荒川通(あらかは):高山通の西にある。東西45間・南北130間。
  • 八剱(やつるぎ):荒川通の西南にある。東西130間・南北150間。
  • 釜口(かまぐち):八剱の西北にある。東西250間・南北160間。
  • 厩尻(むまやじり):釜口の南にある。東西250間・南北100間。
  • 川袋(かはぶくろ):厩尻の東にある。東西200間・南北120間。
  • 松の木(まつのき):川袋の東北にある。東西100間・南北200間。
  • 前野(まへの):松の木の東にある。東西150間・南北90間。

このほか、くるま堂、うの木、西わき、前畑(まへはた)、後畑、大の通り、宮まい、脇畑、観音堂、下のや、前沼、沼端などがあるが、今、ここに一々掲載しない。

貢租

  • 地租:米7石3合、金57円61銭4厘
  • 賦金:金12円82銭5厘
  • 総計:米7石3合、金70円43銭9厘

戸数

  • 本籍:48戸(平民)
  • 寄留:1戸(士族)
  • 社:3戸(村社1坐、平社2坐)
  • 堂:1戸
  • 総計:53戸

人口

  • 男:148口(平民)
  • 女:161口(平民)
  • 総計:312口(外寄留士族男1人・女2人)

牛馬

  • 牡馬:8頭

舟車

  • 荷船:2艘(100石積)
  • 水害予備船:36艘
  • 総計:38艘

山川

  • 荒川:深さおおむね5尺、幅60間。緩流。西北の方、入間郡宗岡村から来て本村の北辺を流れ、東南の方、下内間木村に入る。その間6町。
  • 新河岸川:深さおおむね4尺、幅15間。西の方、宗岡村から来て本村の西南の境に沿って、東南の方下内間木村に入る。その間、31町。
  • 権八渡:新河岸川にあって、浜崎村に達する私渡である。
  • 門左衛門橋:旧来、荒れ地の所に架けられている。幅6尺、長さ9尺。石造。

その他、小渠に架した幅5尺長さ4尺以下の石橋が21ある。枚挙するに足りない。

森林

  • 林:民有に属する。東西41町・南北4町、反別34町5反3畝。村の西南にある。雑樹が繁茂している。

道路

  • 村路:数条ある。幅2間で隣村に達するのみ。一々記すに足らず。
  • 掲示場:村の中央にある。

神社

  • 内間木神社:村社。社地は東西23間・南北20間・面積460坪。村の西南の方、字松の木にある。日本武尊を祭る。祭日11月10日。昔、蔵王大権現と称していた。維新の際に改めて今の名を唱えるという。また、神木として、社頭に周囲1丈8尺5寸の古松がある。往古から里俗にこれを内間木の一本松と称する。
  • 稲荷社:平社。社地は面積84坪。村の中央、字屋敷添にある。倉稲魂命を祭る。祭日2月初午。
  • 厳島社:平社。社地は面積300坪。村の西の方、字厩尻にあって、祭神未詳。祭日なし。[2]

仏寺

  • 阿弥陀堂:境域68坪。内間木神社の近くにある。創建の年代未詳。本郡志木宿宝幢寺から僧を置いて守らせている。

学校

  • 公立小学校:村の西の方にある。生徒 男30人、女15人。

村事務所

  • 村の中央、戸長宅舎を仮用している。

物産

  • 米:120石
  • 大麦:264石
  • 小麦:78石5斗
  • 稗:30石5斗
  • 大豆:28石2斗

米・麦は余嬴がある。また、紫竹・芦萱の類を算出し、ともに近傍に販売している。

民業

  • 男女農を業専とする。

注記

  1. 現在は戸田市に含まれる。
  2. 稲荷社と厳島社は明治四十年に境内社として合祀されている。
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