「武蔵国新座郡村誌」の版間の差分
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当サイトではこの埼玉県立図書館版『[[武蔵国郡村誌]]』から「'''新座郡村誌'''」の部分を現代語訳して掲載する。 | |||
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2025年8月24日 (日) 13:54時点における最新版
武蔵国新座郡村誌(むさしのくに にいざぐん そんし)は、『武蔵国郡村誌』(むさしのくに ぐんそんし)の中の新座郡について記された部分である。
- 詳しくは武蔵国郡村誌を参照のこと。
当サイトではこの埼玉県立図書館版『武蔵国郡村誌』から「新座郡村誌」の部分を現代語訳して掲載する。
武蔵国新座郡村誌 凡例(現代語訳)
- 熊谷県庁を載せて埼玉県庁を載せていないのは、当時熊谷県の所轄だったからである。
- 全村の面積はまだ実測していないため、掲載していない。
- 幅員の四至(四方の境界)は、改租丈量(地租改正のための測量)のときに作成した各村の測量縮図によって測っている。
- 管轄・沿革などは『新編武蔵風土記』『大成武鑑』『藩翰譜』『武蔵田園簿』等によって校正したが、疑いがある場合は「風土記」「田園簿」「大成武鑑」などの字を冒頭に記し、注して異同を示した。なお、風土記とだけ書いているが新編武蔵風土記の省略である。
- 里程などもまだ実測していないため、差がないとはいえない。今は村の役人の記録・申告[1]に従う。
- 税地の反別地租の米金は官簿により、地租改正以前すなわち明治八年の調査による。森林原野などもすべて畑地に総括した。ただし白子・橋戸の両村に限り、村の役人の記録・申告による。これは官簿に両村の区別が明らかではないためである。また、地租のうち「米若干」とあるが、各村みな石代金納(一石の代金6円21銭5厘4毛4糸)の請を許した。しかし、今は煩雑を省略して一々注記しない。
- 字地はできるだけ地租改正[2]以前の古称を採用している。
- 賦金は今からさかのぼり、官簿によるものがないものはすべて村の役人の記録・申告による。ただ大和田町を載せていないのは、戸長も役場も帳簿が散佚して入手する方法がないからである。
- 税地項の中の反別を除く外、飛地・森林・原野・社寺・境域などはおおむね地租改正以後の調査であって、村の役人の記録・申告による。そのため、税地反別の総計に対して新旧の差異を生じるのは言うまでもない。
- 戸数・人口・学校生と・船車牛馬などはすべて明治九年1月1日の調査による
- 森林・社寺その他の方位については、当該の村の元標または掲示場などを起点にして定めた。
- 牧場・鉱山など当該の村にないものはすべて標目を掲げなかった。
目次
- 大和田町
- 野火止村
- 菅沢村
- 西堀村
- 北野村
- 志木宿
- 上内間木村
- 下内間木村
- 宮戸村
- 田島村
- 浜崎村
- 溝沼村
- 岡村
- 根岸村・台村
- 上新倉村
- 下新倉村
- 白子村
- 橋戸村
- 膝折村
- 片山村
- 上保谷村
- 上保谷新田
- 下保谷村
- 小榑村
注
武蔵国新座郡村誌 | |
---|---|
大和田町 - 野火止村 - 菅沢村 - 西堀村 - 北野村 | 現新座市北部 |
志木宿 | 現志木市南部 |
上内間木村 - 下内間木村 - 宮戸村 - 田島村 - 浜崎村 - 溝沼村 - 岡村 - 根岸村・台村 | 現朝霞市の大半 |
上新倉村 - 下新倉村 - 白子村 | 現和光市 |
橋戸村 | 現練馬区大泉町付近 |
膝折村 | 現朝霞市膝折 |
片山村 | 現新座市南部 |
上保谷村 - 上保谷新田 - 下保谷村 | 現西東京市東部 |
小榑村 | 現練馬区大泉学園町・西大泉・南大泉付近 |
武蔵国入間郡村誌より | |
針ヶ谷村 - 水子村 | 現富士見市内 |
宗岡村 | 現志木市北部 |