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- 2024年9月23日 (月) 20:37 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「カテゴリ:歴史的書籍」を作成しました (ページの作成:「新羅郡・新座郡に関連する歴史的書籍。 れきしてきしよせき」)
- 2024年9月23日 (月) 20:36 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「カテゴリ:歴史書」を作成しました (ページの作成:「歴史的な文書の原文またはその日本語訳。 れきししよ」)
- 2024年9月23日 (月) 20:35 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「カテゴリ:文化財」を作成しました (ページの作成:「旧新羅郡/新座郡の文化財。 ふんかさい」)
- 2024年9月23日 (月) 20:35 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「カテゴリ:シラキのコホリ」を作成しました (ページの作成:「旧新羅郡/新座郡エリアの情報。」)
- 2024年9月23日 (月) 20:34 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「カテゴリ:建物」を作成しました (ページの作成:「旧新羅郡/新座郡エリアの建物。 たてもの」)
- 2024年9月23日 (月) 20:34 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「カテゴリ:公共施設」を作成しました (ページの作成:「旧新羅郡/新座郡エリアの公共施設。 こうきようしせつ」)
- 2024年9月23日 (月) 20:32 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「カテゴリ:地誌」を作成しました (ページの作成:「新羅郡・新座郡に関する地誌。 ちし」)
- 2024年9月23日 (月) 20:31 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「ファイル:武蔵国全図 下野屋理兵衛 広域.png」を作成しました ([https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925080 武蔵国全図(下野屋理兵衛/図)]より、新座郡を中心として江戸から川越までを切り取った図。 江戸末期 埼玉県立図書館所蔵 {{江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋}})
- 2024年9月23日 (月) 20:31 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 が ファイル:武蔵国全図 下野屋理兵衛 広域.png をアップロードしました ([https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925080 武蔵国全図(下野屋理兵衛/図)]より、新座郡を中心として江戸から川越までを切り取った図。 江戸末期 埼玉県立図書館所蔵 {{江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋}})
- 2024年9月23日 (月) 20:30 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「ファイル:武蔵国全図 下野屋理兵衛 新座郡.png」を作成しました ([https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925080 武蔵国全図(下野屋理兵衛/図)]より、新座郡周辺のみを切り取った図。 江戸末期 埼玉県立図書館所蔵 {{Quotation|江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋}})
- 2024年9月23日 (月) 20:30 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 が ファイル:武蔵国全図 下野屋理兵衛 新座郡.png をアップロードしました ([https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925080 武蔵国全図(下野屋理兵衛/図)]より、新座郡周辺のみを切り取った図。 江戸末期 埼玉県立図書館所蔵 {{Quotation|江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋}})
- 2024年9月23日 (月) 20:29 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「ファイル:武蔵国全図より新座郡中心の広域.png」を作成しました ([https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925049 武蔵国全図] (菊地武辰/著,橋本玉蘭/画図)より、新座郡を中心として江戸から川越までを切り取った図。 1856(安政3) 埼玉県立図書館所蔵 {{Quotation|橋本玉蘭(五雲亭貞秀)は鳥瞰図を得意とした浮世絵師で、この絵図の山の描き方には特長があります。欄外には社寺朱印高、名所の和歌、国名のいわれなどが書かれています。 江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋}})
- 2024年9月23日 (月) 20:29 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 が ファイル:武蔵国全図より新座郡中心の広域.png をアップロードしました ([https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925049 武蔵国全図] (菊地武辰/著,橋本玉蘭/画図)より、新座郡を中心として江戸から川越までを切り取った図。 1856(安政3) 埼玉県立図書館所蔵 {{Quotation|橋本玉蘭(五雲亭貞秀)は鳥瞰図を得意とした浮世絵師で、この絵図の山の描き方には特長があります。欄外には社寺朱印高、名所の和歌、国名のいわれなどが書かれています。 江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋}})
- 2024年9月23日 (月) 20:27 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「ファイル:武蔵国全図より新座郡.png」を作成しました ([https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925049 武蔵国全図] (菊地武辰/著,橋本玉蘭/画図)より、新座郡周辺のみを切り取った図。 1856(安政3) 埼玉県立図書館所蔵 {{Quotation|橋本玉蘭(五雲亭貞秀)は鳥瞰図を得意とした浮世絵師で、この絵図の山の描き方には特長があります。欄外には社寺朱印高、名所の和歌、国名のいわれなどが書かれています。 江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋)}})
- 2024年9月23日 (月) 20:27 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 が ファイル:武蔵国全図より新座郡.png をアップロードしました ([https://www.lib.pref.saitama.jp/digi/opac/switch-detail.do?bibid=1416925049 武蔵国全図] (菊地武辰/著,橋本玉蘭/画図)より、新座郡周辺のみを切り取った図。 1856(安政3) 埼玉県立図書館所蔵 {{Quotation|橋本玉蘭(五雲亭貞秀)は鳥瞰図を得意とした浮世絵師で、この絵図の山の描き方には特長があります。欄外には社寺朱印高、名所の和歌、国名のいわれなどが書かれています。 江戸幕府は慶長10年(1605)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)の4度にわたり、諸大名に命じて国絵図を作成させ、提出させています。国絵図作成にあわせて、諸国の村名と石高を記した郷帳も編纂しています。近世中期以降流布した国絵図は幕府作成の国絵図をもとに刊行、あるいは筆写されたものです。|『さいたまの地図』 埼玉県立文書館第20回収蔵文書展図録 からの抜粋)}})
- 2024年9月23日 (月) 20:22 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「新羅」を作成しました (ページの作成:「'''新羅'''(しらぎ)は、古代、朝鮮半島南東部にあり、後に朝鮮半島全域を支配した国家である。新羅郡は、新羅出身の渡来人を武蔵国に置いたことに由来する。 ==歴史== 正確な建国の年代は不明である。『三国史記』「新羅本紀」の記載は伝説的であり、史実と認めるには難がある。中国の『資治通鑑』巻104・太元2(377年)年条に、「新羅…」)
- 2024年9月23日 (月) 20:19 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「武蔵守」を作成しました (ページの作成:「'''武蔵守'''(むさしのかみ)は、武蔵国の国司の長である。 ==歴代の武蔵守== * 引田祖父(703年〈大宝3年〉7月任 -)従五位下、『続日本紀』。 * 当麻桜井(708年〈和銅元年〉3月任 - 715年〈霊亀元年〉2月卒)正五位下、『続日本紀』。 * 大神狛麻呂(715年〈霊亀元年〉5月任 - )正五位上、『続日本紀』。 * 多治比縣守(719年〈養老3年〉7月見)正…」)
- 2024年9月23日 (月) 20:18 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「高麗福信」を作成しました (ページの作成:「'''高麗 福信'''(こま の ふくしん)(和銅二年(709)~延暦八年(789)10月8日)は、高句麗王族の子孫と伝えられる奈良時代の公卿である。新羅郡が置かれた当時の武蔵守であった<ref>本サイトでは、新羅郡が置かれた当時の姓を重視し、「高麗福信」を見出し語として採用する。</ref>。氏姓は、肖奈公(しょうな(せな)のきみ)<ref>Wikipedia…」)
- 2024年9月23日 (月) 20:16 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「北足立・新座郡各村字届書」を作成しました (ページの作成:「埼玉県庶務課『'''北足立・新座郡各村字届書'''』(明治十四年=1881)は、北足立郡と新座郡の各村の戸長に対して、村内の字(小字)を報告させたものである。 明治十四年11月26日付けで埼玉県北足立郡・新座郡長 天野三郎が各村に報告を求めた。 以下、新座郡内の報告に関して、村ごとの字部分を抜粋してまとめる。 なお、表記に関して、…」)
- 2024年9月23日 (月) 20:14 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「北足立郡・新座郡長」を作成しました (ページの作成:「大区小区制が廃止された後、郡区町村編制法に基づいて明治十二年以降に設置された新座郡長は、北足立郡長が兼任していた。また、明治二十九年3月の北足立郡・新座郡の合併後は、当然ながら新座郡エリアは北足立郡の領域となり、北足立郡長が郡の長となった。 {| class=\"wikitable\" |+北足立 兼 新座郡長 !代数 !氏名 !任官年月 !備考 |- |初代 |平…」)
- 2024年9月23日 (月) 20:11 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「大日本地名辞書」を作成しました (ページの作成:「'''大日本地名辞書'''は、吉田東伍著による総合大地誌であり、全国の地名の由来・史跡・地形・事物の興廃、その地に関係ある事柄を網羅した歴史地理的な地誌である。明治三十三年(1900年)3月に「第一冊上」が出版され、明治四十年(1907)年に脱稿した。 初版本は11分冊だが、武蔵国の記述が含まれる第四冊之上は、明治三十六年(1903年) 10月…」)
- 2024年9月23日 (月) 20:04 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「廻国雑記」を作成しました (ページの作成:「'''廻国雑記'''(かいこくざっき/クワイコクザッキ)は、室町後期、聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)の准三后(じゅさんごう)である道興准后(どうこうじゅごう、道興大僧正)の紀行文である。 文明十八年(1486年)6月~翌3月にかけて、北陸・関東・奥州を遊歴し、漢詩・和歌・俳諧などを交えた紀行文で、当時の各地の修験者の動向を知る…」)
- 2024年9月23日 (月) 18:44 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「和名類聚抄」を作成しました (ページの作成:「'''和名類聚抄'''(わみょうるいじゅうしょう)は平安時代中期に作られた辞書である。略称は'''和名抄'''(わみょうしょう)。承平年間(931年~938年)、勤子内親王が源順(みなもとのしたごう)に編纂させた。 延喜式に続いて「新座郡」の表記が見える。また、新座郡の中に志木郷と余戸があるという記載は本書が初出となる。 ==和…」)
- 2024年9月23日 (月) 18:42 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「延喜式」を作成しました (ページの作成:「『'''延喜式'''』(全50巻)は、平安時代中期に編纂された法典である。延喜五年(905)に醍醐天皇の命により編纂が始まり、延長五年(927)に完成、康保四年(967)より施行された。 「律令格式」とまとめて呼ばれるが、実際には * 律(りつ):刑法 * 令(りょう):行政法 * 格(かく):律令の修正・増補 * 式(しき):律令の施行細則 という区…」)
- 2024年9月23日 (月) 18:39 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「鉄道路線」を作成しました (ページの作成:「旧新座郡エリア内の鉄道路線および駅は以下のとおりである。 ==鉄道路線・駅== *'''東武東上線''' ← 東上鉄道 **和光市駅 ← 大和町駅 ← 新倉駅 ← にいくら駅 **朝霞駅 ← 膝折駅 **朝霞台駅 **志木駅 **柳瀬川駅 *'''東京メトロ 有楽町線・副都心線''' **和光市駅 *'''JR武蔵野線''' **北朝…」)
- 2024年9月23日 (月) 18:33 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「公立図書館」を作成しました (ページの作成:「旧新羅郡/新座郡エリア内の公立図書館の一覧。なお、和光市と西東京市は「市立図書館」ではなく「市図書館」と表記されている。 ==志木市立図書館== 公民館図書室はいずれも旧入間郡に属する。 * 柳瀬川図書館(館2-6-14) * いろは遊学図書館(本町1-10-1) * 宗岡公民館図書室(中宗岡4-16-11) * 宗岡第二公民館図書室(上宗岡1-5-1) ==新座市…」)
- 2024年9月23日 (月) 18:31 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「埼玉県指定文化財」を作成しました (ページの作成:「埼玉県内の県指定文化財のうち、旧新座郡エリアのものをまとめた。 ==有形文化財== {| class=\"wikitable\" |- ! 指定番号 !! 名称 !! 所在地 !! 概要 |- | 埼文指第258号 || '''平林寺''' || 新座市野火止 || 惣門・三門・仏殿・中門の四棟。臨済宗妙心寺派の寺院及び専門道場。寛文3年、松平信綱の遺志により、子の輝綱が岩槻から現在地に移す。 |- | 埼文…」)
- 2024年9月23日 (月) 18:28 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「埼玉県近代化遺産」を作成しました (ページの作成:「埼玉研究育委員会は、1994~95年に埼玉県近代化遺産総合調査を実施した。調査対象は、近代的技術でつくられた構築物(各種建築物・工作物を含む)の業・交通・土木に関わるもので、江戸時代末期から第二次世界対戦終了時(1945)までの間に造られたものである。 以下は、『埼玉県近代化遺産総合調査報告書』(1996)の「埼玉県の近代化遺産一…」)
- 2024年9月23日 (月) 18:25 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「文化財」を作成しました (ページの作成:「このページでは、文化財保護法で国(文化庁)により指定された'''文化財'''のうち、旧新羅郡/新座郡エリアに存在するものをまとめている。 {{Quotation|文化財保護法では,文化財を「有形文化財」,「無形文化財」,「民俗文化財」,「記念物」,「文化的景観」及び「伝統的建造物群」と定義し,これらの文化財のうち,重要なものを国が指…」) タグ: ビジュアルエディター: 中途切替
- 2024年9月23日 (月) 18:25 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「テンプレート:Quotation」を作成しました (ページの作成:「<blockquote class=\"toccolours\" style=\"float:{{#switch:{{{align|}}}| left = left| right = right| center = none; margin-left:auto; margin-right:auto;| #default = none}}; display:table; border-left:solid 3px #000066; background-color: #EEE\"><div style=\"padding: 10px 15px 10px 15px;\">{{{text|{{{content|{{{quotetext|{{{quote|{{{1|<includeonly>エラー: 引用文がありません (もしくは名無しパラメータを実の引数としていてイコール記号…」)
- 2024年9月23日 (月) 18:18 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「マスコットキャラクター」を作成しました (ページの作成:「旧新羅郡/新座郡エリアの公的な'''マスコットキャラクター'''(ご当地キャラ/ゆるキャラ)一覧。 ==志木市== * カパル:(公財)志木市文化スポーツ振興公社キャラクター。ゆるキャラグランプリ2018でご当地ゆるキャラランキング1位。 * 4式ロボ(ししきろぼ):志木市観光PRキャラクター * いろは水輝(みずき):志木市観光PRキ…」) タグ: ビジュアルエディター
- 2024年9月23日 (月) 18:16 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「テンプレート:鉄道」を作成しました (ページの作成:「{| class=\"wikitable\" style=\"width:100%\" |- ! 旧新座郡エリア付近の鉄道路線・駅 |- | *'''東武東上線'''(東上鉄道) **柳瀬川駅 - 志木駅 - 朝霞台駅 - 朝霞駅(膝折駅) - 和光市駅(にいくら駅→新倉駅→大和町駅) *'''東京メトロ 有楽町線・副都心線''' **和光市駅 *'''JR武蔵野線''' **新座貨物ターミナル駅…」)
- 2024年9月23日 (月) 18:12 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「日本鉄道史」を作成しました (ページの作成:「鉄道省『'''日本鉄道史 下篇'''』(大正十年(1921)8月31日発行)より、東上鉄道(東武東上線の前身)、武蔵野鉄道(西武池袋線の前身)に関する記載を現代語訳して掲載する。なお、西武新宿線・JR武蔵野線・有楽町線・副都心線の前身となる路線はこの時代にはまだ存在しない。 ==第二十章 私設鉄道== ===第三節 新設…」)
- 2024年9月23日 (月) 17:51 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「武蔵田園簿」を作成しました (ページの作成:「『'''武蔵田園簿'''』は、武蔵国の22郡2415村について、郡別に村名・村高・田畑高・諸役銭・社寺朱印高・支配代官・旗本知行主・大名領主、また一国の寄高・道法・船道・村駅・古城・名所を記した書物である。正保国絵図に添えられた郷帳(一国単位に各村の村高を書き上げた帳簿)であり、17世紀半ばの完成とみられている。 ここでは作成経緯…」)
- 2024年9月23日 (月) 17:47 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「和名抄諸国郡郷考」を作成しました (ページの作成:「'''和名抄諸国郡郷考'''は、富永春部が纂述した、和名類聚抄の国・郡・郷についての研究書である。明治二年。 以下、新羅郡・新座郡に関連する内容を現代語訳する(現代語訳=シラキのコホリ) =和名抄諸国郡号考 巻六 東海道下= ==武蔵== 牟佐の国 延喜式の大国 今考えるに、名義は古事記「佐泥佐斯(さぬさし)」と伝えられており、佐…」)
- 2024年9月23日 (月) 17:43 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「ファイル:元禄年中改定図.png」を作成しました (新編武蔵風土記稿/巻之129新座郡1 総図に掲載の元禄年中改定図。元禄は1688年9月30日〜1704年3月13日、徳川綱吉の時代。)
- 2024年9月23日 (月) 17:43 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 が ファイル:元禄年中改定図.png をアップロードしました (新編武蔵風土記稿/巻之129新座郡1 総図に掲載の元禄年中改定図。元禄は1688年9月30日〜1704年3月13日、徳川綱吉の時代。)
- 2024年9月23日 (月) 17:40 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「ファイル:正保年中改定図.png」を作成しました (新編武蔵風土記稿/巻之129新羅郡之1 総図に掲載の正保年中改定図。正保は1644年12月16日~1648年2月15日、徳川家光の時代。)
- 2024年9月23日 (月) 17:40 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 が ファイル:正保年中改定図.png をアップロードしました (新編武蔵風土記稿/巻之129新羅郡之1 総図に掲載の正保年中改定図。正保は1644年12月16日~1648年2月15日、徳川家光の時代。)
- 2024年9月23日 (月) 17:32 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「新編武蔵風土記稿/巻之129新座郡1」を作成しました (ページの作成:「'''新編武蔵風土記稿 巻之一百二十九<br />新座郡之一''' 現代語訳=利用者:シラキのコホリのツカサ =郡図= サムネイル サムネイル =総説= 新座郡は延喜式民部省の内に始めて武蔵国新座と見える。この郡名はいにしえ郡郷を定められたときから置かれたのか、またその後にできた…」)
- 2024年9月23日 (月) 17:27 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「利用者:シラキのコホリのツカサ」を作成しました (ページの作成:「当サイト「プロジェクト:シラキのコホリ」の管理人です。旧新座郡エリアに引っ越してきたことをきっかけに、当サイトを始めることとしました。 連絡先: Gmailにてアカウント名「shirakinokohori」まで。ただし、メールチェックは頻繁ではありません。」)
- 2024年9月23日 (月) 17:21 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「カテゴリ:新編武蔵風土記稿」を作成しました (ページの作成:「新編武蔵風土記稿のうち、新座郡関連部分の本文現代語訳。」)
- 2024年9月23日 (月) 17:21 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「新編武蔵風土記稿」を作成しました (ページの作成:「『新編武蔵風土記稿』(しんぺんむさしふどきこう)は、昌平坂学問所地理局により編纂された武蔵国の地誌である。全265巻、文化七年(1810)起稿、文政十三年(1830)に完成した。 新座郡関連の記載は以下のとおりである。 *巻之一百二十九 新座郡之一 :郡図、総説 *巻之一百三十 新座郡之二 :野方領 ::石…」)
- 2024年9月23日 (月) 09:29 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「日本書紀・続日本紀の新羅郡記事」を作成しました (ページの作成:「日本書紀・続日本紀における新羅郡関連記事のまとめ。 ==日本書紀== ===巻三十=== ;持統元年四月癸卯条 :夏四月甲午朔癸卯、筑紫大宰献投化新羅僧尼及百姓男女廿二人。居于武蔵国。賦田受稟、使安生業。 :687年4月10日、筑紫大宰、帰化新羅人僧尼及び百姓男女合わせて22人を進上した。武蔵国に居住させ、田を支給して、農業に従事させる。 ;持統…」)
- 2024年9月23日 (月) 09:24 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「新羅郡」を作成しました (ページの作成:「'''新羅郡'''(しらきのこほり/しらぎのこほり)は奈良時代の天平宝字二年(758年)に武蔵国に置かれた郡である。その後、時代を経て新座郡へと名称が変化した。 ==設置== 『続日本紀<ref>日本書紀・続日本紀の新羅郡記事参照。</ref>』によれば、天平宝字二年(758年)8月24日、帰化新羅人の僧32人・尼2人・男19人・女21人を武蔵国の空閑…」)
- 2024年9月23日 (月) 09:10 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「新座郡」を作成しました (ページの作成:「サムネイル|新座郡最大領域図。北半分緑系のエリアが現在の埼玉県、南半分黄色系のエリアが現在の東京都である。点線で囲んだ部分は、旧新座郡内の市区町村と合併した地域を示している。 '''新座郡'''(にいくらぐん⇒にいざぐん)は、武蔵国にあった郡である。 == 郡域 == 現在の行政区画ではおおむね以…」)
- 2024年9月23日 (月) 08:20 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「ファイル:新座郡最大領域図.png」を作成しました
- 2024年9月23日 (月) 08:20 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 が ファイル:新座郡最大領域図.png をアップロードしました
- 2024年9月23日 (月) 08:19 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 がページ「ファイル:シラキのコホリ.png」を作成しました
- 2024年9月23日 (月) 08:19 シラキのコホリのツカサ トーク 投稿記録 が ファイル:シラキのコホリ.png をアップロードしました